2008年02月13日
改正建築基準法の事

写真は姉歯事件が生んだ改正法に「役人が焼け太りするだけ」の声 - ビジネススタイルより引用
去年の夏過ぎから、新聞やテレビのニュースで取り上げられる事が多くなった「改正建築基準法」ですが、意外と何が大きく変わったか知られていませんよね。家を購入したり、持ち家を改修したりしないかぎり、一般の方にはちょっと縁のない事なので致し方ないのですが、改正建築基準法によってトータルGDPの約1%が損失したとなると、尋常ではないとどなたでも思うはずです。でも、何が問題なのか?となると知られていない方が多いですよね。。
そもその改正されたきっかけは一連の構造偽装が発端です。
建築物を建てるには「建築確認申請」という申請が必要になるのですが、これは建築物の計画が建築基準法等に適合するものかどうか、建築主事の確認を受けるための申請をすることを差します。A: 建物の新築、B: 10平方メートルを超える増改築・移転、大規模な修繕・模様替え、C: 100平方メートルを超える用途変更(建物の使用用途が例えば倉庫から店舗に変わる場合など)いずれかの場合は、建築主はその計画が建物の敷地、構造、設備、用途などが法律に違反していないかチェクを受けるため申請し、その確認を受けなければならない訳です。申請書を提出する先は、都道府県または市区町村の建築主事のほか、民間機関である指定確認検査機関に提出し審査を受けます。構造偽装問題が発覚した際に、有名になってしまったイーホームズは、この民間の指定確認検査機関だった訳です。
役所である、国土交通省とその指定をうけた民間の指定確認検査機関が、実際の構造偽装を未
然に防げなかった事に世論の反発があった訳ですけど、これを受けてより厳格化されたのが、「改正建築基準法」になります。概要は国土交通省のウェブサイト:平成19年6月20日施行の改正建築基準法等について(PDF)でどなたでも閲覧できますがポイントとしては下記の5点で、
1 建築確認・検査の厳格化
2 指定確認検査機関の業務の適正化
3 建築士等の業務の適正化及び罰則の強化
4 建築士、建築士事務所及び指定確認検査機関の情報開示
5 住宅の売主等の瑕疵担保責任の履行に関する情報開示
6 図書保存の義務付け等
が、強化厳格化されています。この中で、建築業界が混乱に陥っている要因は大きく3つあるのですが、一つ目の要因は「建築確認・検査の厳格化」です。一定の高さ以上等の建築物については、第三者機関による構造審査(ピアチェック)が義務付けられたこと。ピアチェックそのものは、構造設計とのダブルチェックの意味合いもあるので、むしろ歓迎される建築主さんも多いと思いますが、これにより時間と手数料が余計に掛かってしまうことが問題なのです。特に問題なのは時間的な問題で「構造計算適合性判定制度」の導入で建築確認の審査期間が「3週間」から「5週間」に延長され、さらに状況や詳細な計算を伴う場合は「最大で10週間!」掛かってしまいます。費用的にはおおよそですが、25万円以上の構造計算チェック費用が設計の構造計算とは別に発生します。確認申請で最大70日掛かるという事は、建築計画そのものが遅延する事を意味する訳です。
次の要因が、「補正慣行の廃止」。
改正前は、設計図書に不適合な箇所がある場合には、建築主事等が申請者にその旨を連絡し、補正させた上で確認するというスキームでしたが、誤記や記載漏れなどを除き、図書に差替や訂正がある場合には補正が認められず、再申請をしなくてはならなくなったのです。要は、建築主側の要望で発生した変更が認められない、予め建築計画の内容をFIXする必要がある訳で、これはかなりきつい。軽微なものを除いて変更できない訳ですから。
そして最後の要因が「着工後の計画変更」の扱い。
施工現場が始まってからの変更は、原則として計画変更申請が必要になったのですが(軽微な変更は除き)補正で対応していた部分も、このような変更が生じた場合は、一旦工事をとめて計画変更申請を行わなくてはならない訳です。構造的な変更があれば、再度ピアチェックが必要になる訳で要は、変更に対するスキームが厳格化されすぎて、例えば計画企画段階で思慮を要するだけではなく、不可抗力で発生した計画変更でも申請しないといけないのは、完成引き渡しのタイミングが厳密には読めない事を意味します。
建築業界が混乱に陥っている要因は、大まかに言ってこの3つがポイントだと思うのですが、最大の問題はこの取り扱いを執行する役所が混乱している事です。都市部では、沈静化しつつありますが地方では混乱が治まっていない話も聞きます。質問に答えられないケースが多く、改正基準法の扱いが役所の上から下まで徹底されていないのが一番の問題かも知れませんね。期間が掛かり、計画変更が難しく、補正が発覚したら再申請では、建築物の竣工件数が大幅に減るのは当たり前です。建築業界を混乱に陥らせている改正建築基準法ですが、規制緩和の動きもあるようですし、早く現実に即したスキームに改正される事を願うばかりです。。
English Here (Auto Translate)
This function will not provide you with a perfect translation.
_______________________
+ 平澤 太
→Designcafe.jp (2008年1月に再開します)
→平澤太デザイン計画機構
→Designcafe-blog
→Designcafe annex T-galaxy.com
→Loftwork.com-hirasawa.D.P.O-
→Technorati-Japan
2008年02月10日
アパートメントの設計

写真はル・コルビジェ設計のUnit D'habitation。
今年は建築から手がける案件が現時点で2つあるのですが、その一つのアパートメントの初期提案をする為のプランニング作業をやっています。今週と来週でプランニングと計画を纏め、提案するのですが法規与件、クライアントからの要望を整理しボリュームの確定がほぼ出来たので、土曜日から具体的なプランニングとデザインに取りかかっています。
僕の事務所はどちらかというと商業施設の設計・・・商業施設であれば建築や内装を問わず設計しているのですが、今回の様な集合住宅は、初めての取り組みになります。容積率160%(敷地面積に対する延べ床面積の割合)から3階建ての比較的小規模なマンションの計画になりますが、従来のハウスメーカーでは満足できていないクライアントの為に、色々なアイデアを盛り込んで提案する予定です。
今回、クライアントとお話しして思ったのは、ハウスメーカーの初期提案能力のことです。大手のメーカーがこの程度の事しかやっていないのかと、びっくりしました。こんな事書くと怒られちゃうかもしれませんが(笑)、要はマンションオーナーをなめすぎている。建築の法規与件があって、この与件に基ついて設計するとこうなって、掛かるお金はこうなります・・的な部分しか提案されておらず、フィロソフィとは無縁で大きなな投資を行なうクライアントサイドの意向に沿っているとはお世辞でも思えなかったのです。特に今回の場合、賃貸としての計画なので10年後に陳腐化してしまうようなものは当然避けなければならず、自ずと予測を立てながら、住み手のマインドを高め、他の賃貸集合住宅と一線引ける様なアパートメントが望ましい訳です。同時に多様化している住環境に対して画一的なものしか提案できないのは致命的。今回機会があって、没案となったハウスメーカーの提案書を目にする事ができましたが、僕自身、ディベロッパーとしての立ち位置もあるので、非常に考えさせられました。
デザインコンシャスでコストにも配慮するやりかたは、商業建築と住宅建築で異なります。商業施設では行く事自体が目的だったり、商売の形態から機能面でのデザインが求めらたり、情緒的マインドを打ち出すことが必須ですが、住宅の場合、住み手の感性で各々が住みやすい状態がベストですから、ある程度の自由度(特に居室内)と安心感が必要になります。細かい装飾はいらないけれど、例えば採光が気持ちよかったり、静かだったり、頑丈だったり、外観から住んでみたいと思わせる様なシンプルな設えだったり・・そんな要素が望ましいと思うのです。同時に、マンションオーナーにとっては高価な所有物になる訳ですから、所有している喜びみたいなものも必要かも知れません。
これからの集合住宅は、コーポラティブハウスまでいかなくても、ニッチな感性で細分化されていくのは間違いないかと。細分化していく感性に全て応える事は難しいでしょうけど、ディベロッパーや建築家&デザイナーにとっては、ケーススタディを増やして「自分たちを気入ってくれる要素」をどれだけ沢山創れるのかに掛かっていると思います。。
English Here (Auto Translate)
This function will not provide you with a perfect translation.
_______________________
+ 平澤 太
→Designcafe.jp (2008年1月に再開します)
→平澤太デザイン計画機構
→Designcafe-blog
→Designcafe annex T-galaxy.com
→Loftwork.com-hirasawa.D.P.O-
→Technorati-Japan
2007年11月29日
建築家の事
僕が商業建築のデザインの仕事を始めてから15年目に入りました。。
14年経っても、変わらない事の一つにリスペクトする建築家が変わらない事
があるのですが、その事を少し書いてみようと思います。
→レンゾ・ピアノ(Renzo Piano)
→アルド・ロッシ(Aldo Rossi)
→オスカー・ニーマイヤー(Oscar Niemeyer)
→ルイス・バラガン(Luis Barragan)
ミーハー的に書くと、この4人は僕のアイドルで(笑)リリースされた本は殆ど読み、
作品集を買い漁り、作品展や写真展があればひょこひょこと出かけ、講演会では質問し、
行動からある種病的な感じもしないでもないのですが(笑)、本当に尊敬しています。
レンゾ・ピアノとアルド・ロッシはイタリアの建築家で、ピアノは関空やメゾンエルメスを
ロッシは門司港ホテルやホテル・イルパラッツオで日本国内にも作品が残る建築家です。

↑パウルクレーセンター(スイス)設計:レンゾ・ピアノ
一言で言うなら、ピアノは「孤高の天才」、ロッシは「ロジカルな芸術家」でしょうか。
プログラムに対して、変幻自在のテクニックで引き出しを出しまくるレンゾ・ピアノ。
素朴だけど、優しい質感と配色でイタリア人らしいユーモアをもちつつ、経年劣化を
緻密に計算するロッシ。対照的な部分も多いのですが、僕が今の仕事をしているのも
イタリアに行った事もこの二人の影響が大きいのです。。

↑Berlino 設計:アルド・ロッシ
オスカー・ニーマイヤーはブラジル人の御年100歳(!)の恐らく著名建築家では
最高齢の建築家です。残念ながら、国内に作品はありませんがユニークな外観の建築
が特徴で広告(ニテロイ現代美術館など)で見かけた方も多いかもしれませんね。

↑ニテロイ現代美術館 設計:オスカー・ニーマイヤー
ニーマイヤーは、60年代以降比較的公共建築を手がける事が多いのですが、古今東西、
保守的な要素の強いパブリック・アーキテクチャーで、未来を志向した
フューチャーリスティックなデザインで一世風靡し、世界から驚きと賞賛を浴びた建築家です。
ル・コルビジェと恊働した時期があり、間違いなく世界の建築史に名を刻む一人でしょう。
そして、ルイス・バラガン。メキシコの建築家で、その作品はモダニズムとカリブ海で
観られる土着的な様式(壁を原色でカラフルに仕上げる)の調和が特徴です。
バラガンがユニークなのは、作品だけでなく実業家としても成功を収めている点で、
不動産開発(自身で開発計画した宅地の売買など)やランドスケープデザイナーとして
も際立った業績を残しています。著名な建築家で、私財を投じて礼拝堂を創ったり
自宅が世界遺産に登録されているのはバラガンぐらいでしょう(笑)。
前述の3人が出身の国内外に幅広く作品を残しているのに対し、バラガンの作品は
ローカルエリア(メキシコ国内)に留まっている点も異色です。

↑ルイス・バラガン自邸 設計:ルイス・バラガン
日本の建築家やデザイナーにも人気の高いバラガンですが、その理由は
「なぜあんなに派手な色を使いながら建築や空間に静粛が漂うのか?」
この一言に尽きます。凛とした風情が日本人の琴線に触れるからなのでしょうね。
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
作家の有名無名に問わず、建築や空間(他のデザインでも言えるのですが)を観る時に
なぜこの形になったのか?を考えながら観ると、とても面白いのです。
そこには、必ず設計の意図があり、その意図を守る為に法規や技術的制約やコストと
闘いながら関係者とともに恊働し、完成したプロセスがありますからね。
たとえば、前述のレンゾ・ピアノが設計したメゾン・エルメス(銀座)の場合。

photo by Purple Cloud
特徴は、何といってもあの大判ガラスブロックで建物全体を覆っている事になりますが、
ピアノは、ガラスブロックから透けて見える内部空間の灯りと銀座という街が持つ灯りを
なぞらえ、そこに日本(特に銀座)におけるエルメスのあり方を問いかけたのです。
銀座のきらびやかな、看板や屋内から発光するカオスティックな雰囲気が印象に
残ったのでしょう。
でも、ここから先が大変で(笑)スペイン産のガラスブロックを従来の方法で固定させる
と建築基準法の定める規程の構造強度に満たせなくて、ピアノ自身がかなりの情熱をもって
陣頭指揮したんですね。もちろん日本のゼネコンのエンジニアも相当頑張ったはずですが
ピアノ自身の情熱が伝わらなければ、ここまでの仕事にならなかったと思うんです。
一例ですが、大なり小なり同じ事が建築の場合必ずあります。
これを探りながら観てみると、違った印象を受けるかもしれませんね。。
English Here (Auto Translate)
This function will not provide you with a perfect translation.
_______________________
+ 平澤 太
→Designcafe.jp (2007年12月に再開します)
→平澤太デザイン計画機構
→Designcafe-blog
→Designcafe annex T-galaxy.com
→Loftwork.com-hirasawa.D.P.O-
→Technorati-Japan
14年経っても、変わらない事の一つにリスペクトする建築家が変わらない事
があるのですが、その事を少し書いてみようと思います。
→レンゾ・ピアノ(Renzo Piano)
→アルド・ロッシ(Aldo Rossi)
→オスカー・ニーマイヤー(Oscar Niemeyer)
→ルイス・バラガン(Luis Barragan)
ミーハー的に書くと、この4人は僕のアイドルで(笑)リリースされた本は殆ど読み、
作品集を買い漁り、作品展や写真展があればひょこひょこと出かけ、講演会では質問し、
行動からある種病的な感じもしないでもないのですが(笑)、本当に尊敬しています。
レンゾ・ピアノとアルド・ロッシはイタリアの建築家で、ピアノは関空やメゾンエルメスを
ロッシは門司港ホテルやホテル・イルパラッツオで日本国内にも作品が残る建築家です。

↑パウルクレーセンター(スイス)設計:レンゾ・ピアノ
一言で言うなら、ピアノは「孤高の天才」、ロッシは「ロジカルな芸術家」でしょうか。
プログラムに対して、変幻自在のテクニックで引き出しを出しまくるレンゾ・ピアノ。
素朴だけど、優しい質感と配色でイタリア人らしいユーモアをもちつつ、経年劣化を
緻密に計算するロッシ。対照的な部分も多いのですが、僕が今の仕事をしているのも
イタリアに行った事もこの二人の影響が大きいのです。。

↑Berlino 設計:アルド・ロッシ
オスカー・ニーマイヤーはブラジル人の御年100歳(!)の恐らく著名建築家では
最高齢の建築家です。残念ながら、国内に作品はありませんがユニークな外観の建築
が特徴で広告(ニテロイ現代美術館など)で見かけた方も多いかもしれませんね。

↑ニテロイ現代美術館 設計:オスカー・ニーマイヤー
ニーマイヤーは、60年代以降比較的公共建築を手がける事が多いのですが、古今東西、
保守的な要素の強いパブリック・アーキテクチャーで、未来を志向した
フューチャーリスティックなデザインで一世風靡し、世界から驚きと賞賛を浴びた建築家です。
ル・コルビジェと恊働した時期があり、間違いなく世界の建築史に名を刻む一人でしょう。
そして、ルイス・バラガン。メキシコの建築家で、その作品はモダニズムとカリブ海で
観られる土着的な様式(壁を原色でカラフルに仕上げる)の調和が特徴です。
バラガンがユニークなのは、作品だけでなく実業家としても成功を収めている点で、
不動産開発(自身で開発計画した宅地の売買など)やランドスケープデザイナーとして
も際立った業績を残しています。著名な建築家で、私財を投じて礼拝堂を創ったり
自宅が世界遺産に登録されているのはバラガンぐらいでしょう(笑)。
前述の3人が出身の国内外に幅広く作品を残しているのに対し、バラガンの作品は
ローカルエリア(メキシコ国内)に留まっている点も異色です。

↑ルイス・バラガン自邸 設計:ルイス・バラガン
日本の建築家やデザイナーにも人気の高いバラガンですが、その理由は
「なぜあんなに派手な色を使いながら建築や空間に静粛が漂うのか?」
この一言に尽きます。凛とした風情が日本人の琴線に触れるからなのでしょうね。
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
作家の有名無名に問わず、建築や空間(他のデザインでも言えるのですが)を観る時に
なぜこの形になったのか?を考えながら観ると、とても面白いのです。
そこには、必ず設計の意図があり、その意図を守る為に法規や技術的制約やコストと
闘いながら関係者とともに恊働し、完成したプロセスがありますからね。
たとえば、前述のレンゾ・ピアノが設計したメゾン・エルメス(銀座)の場合。

photo by Purple Cloud
特徴は、何といってもあの大判ガラスブロックで建物全体を覆っている事になりますが、
ピアノは、ガラスブロックから透けて見える内部空間の灯りと銀座という街が持つ灯りを
なぞらえ、そこに日本(特に銀座)におけるエルメスのあり方を問いかけたのです。
銀座のきらびやかな、看板や屋内から発光するカオスティックな雰囲気が印象に
残ったのでしょう。
でも、ここから先が大変で(笑)スペイン産のガラスブロックを従来の方法で固定させる
と建築基準法の定める規程の構造強度に満たせなくて、ピアノ自身がかなりの情熱をもって
陣頭指揮したんですね。もちろん日本のゼネコンのエンジニアも相当頑張ったはずですが
ピアノ自身の情熱が伝わらなければ、ここまでの仕事にならなかったと思うんです。
一例ですが、大なり小なり同じ事が建築の場合必ずあります。
これを探りながら観てみると、違った印象を受けるかもしれませんね。。
English Here (Auto Translate)
This function will not provide you with a perfect translation.
_______________________
+ 平澤 太
→Designcafe.jp (2007年12月に再開します)
→平澤太デザイン計画機構
→Designcafe-blog
→Designcafe annex T-galaxy.com
→Loftwork.com-hirasawa.D.P.O-
→Technorati-Japan
2007年08月30日
CIのミーティングの後に・・

先日ソリューション&ウェブシステムインテグレ−トの会社・attsuの宮川さん(写真右)とCMSデザイナーの林くんとキックオフ兼ねて人形町で食事をしてきました。宮川さんの会社のCIとウェブブランディング、アウトラインツールを僕の事務所でデザインします。既にCIのコンセプト、フィロソフィは固まっていて、デザインに落とし込む所まで進んでいることもあって、終始和やかでした(笑)。最初にCIの相談を頂いた際は、どのようなアウトラインにしたいのか正直見えなかったのですが、経営者としてCIを創ろうと思った経緯や将来の事などのお話を伺ったり、僕が考えているCIのありかたや企業におけるデザインの必要性とそれに伴うメリット、「なぜシンボルが必要なのか?」等を話し合いました。宮川さん自身もCIを創ろうと決心した所までは、かなり早かったそうですが、実際どこに頼んだら良いのか?かなり悩んだそうです。同時にただデザインするのではなくて、自分と同じ目線でフィロソフィーから一緒に考えてくれる人に委ねたかったと。CIは企業理念を可視化し、企業マインドを伝えないといけない訳ですからね。
そういったやりとりを経て、弊所のスタンスを気に入って頂き今回に至った訳ですが、個人的にエポックメイキングだったのは「自分がデザインしない」事です。CIコンセプトの立案と施策をディレクションするのが僕の仕事なのですが、恊働するデザイナー(グラフィックデザイナーとウェブデザイナー)コピーライターや弁理士のアッセンブルも含めて、自分がデザインを一切行わないのです。コンセプトの善し悪しでデザインも左右されますから、純粋には違うのかも知れませんが、可視化する部分を恊働するデザイナーに託しながら、コントロールに徹する。将来的にはオフィスの空間デザインなどは、僕がデザインする事になりますがスタートとしてコンセプター&CDに徹するのは初めてです。イタリアとかですと、デザインとCDとコンセプターを一緒にやってしまうような人は珍しくないのですが、クリエイティブの分業化が進んでいる日本ですと、今回のようなケースは少ない思います。僕は気負わないのが唯一の取り柄なので(笑)、この仕事に関わっている人たちと一緒に楽しみながら、思慮深くデザインしたいと思っています。
_______________________
+ 平澤 太
→平澤太デザイン計画機構
→Designcafe-blog
→Designcafe annex T-galaxy.com
→Designcafe@asoboo.com (English and Italian)
→Loftwork.com-hirasawa.D.P.O-
→Designcafe.jp (サイトリニューアル中)
→Technorati-Japan
2007年07月18日
説得より納得を得られたのか?
・・・と最近痛感しています。
ここのところ、新規の案件でMTGの嵐なのですがその席上色々な相談や意見を頂きます。デザインの仕事なのでデザインする上での解決しなければいけない事、もしくは期待したい事など様々ですが、時間のない中でディスカッションしていると如何しても「説得」に走ってしまうんですね。
これは僕ではないのですが、あるプロジェクトの定例MTGで恊働しているプロダクトデザイナーとクライアントのやりとりの中で「説得」しようとしている場面がいくつかあった訳です。喧々諤々と進行していた訳ではないのですが、そのやりとりをしていたクライアント担当の方が僕に振ってきた訳です、「ヒラサワさんは如何ですか?」と。。
守秘義務があるので抽象的になってしまいますが、一連の話を整理すると・・
プロダクトデザイナーは今提案している形(デザイン)で進めたい。
でも、依頼されている条件を一応満たせている。コストは収まっている。
今まで色々な検討を加えてきた形で、時間もないから、これで進めたい。
一方のクライアントサイドは・・・
検討を加えた上、条件も満たせているがベストとは言えない。
時間はこれ以上かけられない。コストも然り。
良い解決策が見いだせない。
プロダクトデザイナーは、今までのプロセスの中ではベストのデザインでそのデザインの良さを「説得」しようと頑張っている。でもクライアントサイドは、このデザインに対して「納得」しきれていない。「説得」と「納得」のコンフリクトというか(笑)、こうなってしまうと、いつまでたっても平行線だと思うのです。今回のプロダクトデザイナーは僕と同じようにクライアントからダイレクトにオファーを貰っているので、僕自身がダメだしするのは筋違いなのですが、途中から僕が加わったのでプロセス上の問題が無かったのか気になりました。同時に第三者的に意見が欲しいとの事だったので、以下のように返答しました。。
プロダクトデザイナーに対して・・
> デザインを創る上で必要な情報をクライアントから吸収できたのか?
> デザインワークに対してのスケージューリングに問題は無かったのか?
> 適宜コンセンサスを怠らなかったか?
> クライアントのジャッジメントは明快だったのか?
> 対案の説明(長所短所)を抜かりは無かったのか?
それに対してクライアントサイドですが
> 必要な情報をデザイナーサイドに適宜渡していたか?
> 不明な点に対しての回答に理解できたか?
> クライアントサイドのスケジュールリングに乗っていたか?
> ラーニング(このデザインに対して必要な最低限の学習事)はできたか?
> 対案の説明(長所短所)に理解できたか?
この辺が行き違いの原因だと思った訳です。どちらが正しい、正しくないでは無くプロセスの中でコンセンサスが取れていたのかどうか?これがポイントだと思います。通常のこの規模のプロジェクトだとディレクターが間に入り、進捗を調整したりするのですが、それに当たる人が居ないこともあってか、こういう事態になってしまうんですね。お互いの理解が不十分なまま進んでしまった事が最大の原因だと思う訳です。
今回の場合、その理解を深める努力はクライアントよりもデザイナーに課せられていたはずです。デザインと言う仕事に関してはクライアントよりも遥かに達者な訳ですから。「納得」を得られる努力より「説得」することを選んでしまった事。この繊細な部分を察する能力ってやっぱり大切だと思うんです。。
_______________________
+ 平澤 太
→平澤太デザイン計画機構
→Designcafe-blog
→Designcafe annex T-galaxy.com
→Designcafe@asoboo.com (English and Italian)
→Designcafe.jp (サイトリニューアル中)
→Technorati-Japan
ここのところ、新規の案件でMTGの嵐なのですがその席上色々な相談や意見を頂きます。デザインの仕事なのでデザインする上での解決しなければいけない事、もしくは期待したい事など様々ですが、時間のない中でディスカッションしていると如何しても「説得」に走ってしまうんですね。
これは僕ではないのですが、あるプロジェクトの定例MTGで恊働しているプロダクトデザイナーとクライアントのやりとりの中で「説得」しようとしている場面がいくつかあった訳です。喧々諤々と進行していた訳ではないのですが、そのやりとりをしていたクライアント担当の方が僕に振ってきた訳です、「ヒラサワさんは如何ですか?」と。。
守秘義務があるので抽象的になってしまいますが、一連の話を整理すると・・
プロダクトデザイナーは今提案している形(デザイン)で進めたい。
でも、依頼されている条件を一応満たせている。コストは収まっている。
今まで色々な検討を加えてきた形で、時間もないから、これで進めたい。
一方のクライアントサイドは・・・
検討を加えた上、条件も満たせているがベストとは言えない。
時間はこれ以上かけられない。コストも然り。
良い解決策が見いだせない。
プロダクトデザイナーは、今までのプロセスの中ではベストのデザインでそのデザインの良さを「説得」しようと頑張っている。でもクライアントサイドは、このデザインに対して「納得」しきれていない。「説得」と「納得」のコンフリクトというか(笑)、こうなってしまうと、いつまでたっても平行線だと思うのです。今回のプロダクトデザイナーは僕と同じようにクライアントからダイレクトにオファーを貰っているので、僕自身がダメだしするのは筋違いなのですが、途中から僕が加わったのでプロセス上の問題が無かったのか気になりました。同時に第三者的に意見が欲しいとの事だったので、以下のように返答しました。。
プロダクトデザイナーに対して・・
> デザインを創る上で必要な情報をクライアントから吸収できたのか?
> デザインワークに対してのスケージューリングに問題は無かったのか?
> 適宜コンセンサスを怠らなかったか?
> クライアントのジャッジメントは明快だったのか?
> 対案の説明(長所短所)を抜かりは無かったのか?
それに対してクライアントサイドですが
> 必要な情報をデザイナーサイドに適宜渡していたか?
> 不明な点に対しての回答に理解できたか?
> クライアントサイドのスケジュールリングに乗っていたか?
> ラーニング(このデザインに対して必要な最低限の学習事)はできたか?
> 対案の説明(長所短所)に理解できたか?
この辺が行き違いの原因だと思った訳です。どちらが正しい、正しくないでは無くプロセスの中でコンセンサスが取れていたのかどうか?これがポイントだと思います。通常のこの規模のプロジェクトだとディレクターが間に入り、進捗を調整したりするのですが、それに当たる人が居ないこともあってか、こういう事態になってしまうんですね。お互いの理解が不十分なまま進んでしまった事が最大の原因だと思う訳です。
今回の場合、その理解を深める努力はクライアントよりもデザイナーに課せられていたはずです。デザインと言う仕事に関してはクライアントよりも遥かに達者な訳ですから。「納得」を得られる努力より「説得」することを選んでしまった事。この繊細な部分を察する能力ってやっぱり大切だと思うんです。。
_______________________
+ 平澤 太
→平澤太デザイン計画機構
→Designcafe-blog
→Designcafe annex T-galaxy.com
→Designcafe@asoboo.com (English and Italian)
→Designcafe.jp (サイトリニューアル中)
→Technorati-Japan
2007年06月30日
デザイン系専門学校の先生たちとディスカッション

先日、あるデザイン系の専門学校(以前僕が非常勤講師のオファーもらった学校)の先生達と食事する機会がありました。親睦会みたいな感じでしたが、この学校と関わりのあるデザイン実務者(デザイナー)を数人招いて、デザインの学生育成についての意見交換みたいなことをしてきたのです。僕にとっても、これからどんな人たちをデザイナーとして受け入れて育てていくかは、自分にも関わってくるのでかなり真剣にディスカッションしてきました。その中で、感じた事、思った事をブログで書く約束をしてしまったので(笑)書いてみようと思います。
日本においてのデザイナーの育成プロセスは、まず教育機関(デザイン専門科高校、デザイン系専門学校、デザイン系の大学)で基礎レベル的な教育を施し、企業に就職してから実践的な実務を鍛える事で成り立っています。日本の場合、世界的に観て特殊なのは企業内デザイナーの数の多さ(インハウスデザイナー)があり、インハウスの環境がデザイナーの育成に貢献してきた訳です。そのインハウスの中から能力を備えた人たちが独立し、今度は実務者として後進の指導も行い2元的に循環するのが特徴だったとも言えます。
ところが、最近の社会情勢は新人を教育して行く方向から、プロとして活動できる可能性を持った人を、必要な時に起用する(もしくは採用する)方向にシフトしています。派遣が端的な例ですが、雇用の形態が明らかに変わっていて企業やデザイン事業所が新人を育てて行く気風を失いつつあります。今回の意見交換でもこの部分を指摘されている先生たちが非常に多かったですが、社会のマインドが企業内デザイナーを育てにくくなっている感じがするのです。
僕は、自分の経験(専門学校を卒業→イタリアのポリテクニークに留学)から思った事は、日本の専門学校や大学は「良い就職先に卒業生を送り込む事」に優先順位を置いていて、イタリアの場合は「デザインの実務者として高い能力を備える事」に優先順位を置いている違いがあります。日本に限らず、本来社会が必要としているのは「ビジネスとしてのデザイン」を情緒的に解決できるデザイナーを求めているはずです。教育機関側が「企業やデザイン事業所が実務を教える」事を前提にしてしまっている今のプログラムを続けると、今後大きなズレにつながって行くような気がするのです。
「デザインの実務者として高い能力を備える事」とは何か?となりますが、イタリアでの実例を簡単に言うと大学4年間で行う基礎教育の他にワークショップを通じた活動で「デザイン+ビジネス+コンストラクトを共同作業で実務の仮想シュミレーション」を行ったり、契約や著作、デザインビジネスで必要な交渉などもカリキュラムに入っています。イタリアに限らずヨーロッパのデザイン系の大学やドムスアカデミーのような専門学校でもかなり細部までプログラム化されていて、それを専攻別にチョイスできたりします。一般教養に対してのプログラムも重視されていて、社会、経済、文化、民族への関心を持つ事で鋭い洞察力を養えます。
こうやって考えてみると、やはり日本のデザイン教育機関は、基礎教育で留まっていてヨーロッパの学校と比べるとカルチャースクールのように見えてしまうのです。少子化が進行している訳ですから、学校側も学生に対して「魅力的なプログラム」を組みより多くの学生を確保する必要があるのも理解できます。でも実践的な側面から考えると学生が好む好まないに関わらず広義に渡ってデザインプロセスを勉強する機会が必要で「造形的な部分だけを鍛えている」今の現状だとかなり危機的な状況になるように思えるのです。専門学校の2年と大学の4年間だけで全てを賄うには無理がありますが、大学院やアップデートプログラムのようなシステムを活用すればより専門的に履修できるはずです。
_______________________
+ 平澤 太
+ Designcafe? / 平澤太デザイン計画機構 +
+ Hirasawa Futoshi design & planning organization
→平澤太デザイン計画機構
→Designcafe-blog
→Designcafe.jp (サイトリニューアル中)
→Designcafe annex T-galaxy.com
→Technorati-Japan
2007年06月15日
サイン・インターフェイス・・その2 "Frutigerほか"

JRでも番線の数字でおなじみのFrutiger(フルティガー)は元々空港のサイン用として開発された書体ですが、ヨーロッパは活版の普及と併せて書体のデザインが隆盛を極めたこともあって、その伝統が今でも残っているのですね。単一民族国家の日本と違い、多様な民族が行き来するヨーロッパの場合、異なる言語でもおなじ文字種を使う故か、特に読みやすさや誤読の少なさが書体のデザインに大きく影響している様な気がします。
僕らがやっているような商業施設とは異なり、公共性の高い空港や鉄道のようなサインとなると当然、耐用年数の高いデザインが求められる訳ですが、昨今の日本のパブリックサイン(特にリファインされていく鉄道系)はどんどん退化していっているように見えてならないのです。鉄道の場合、路線の拡大やアクセス経路の拡大など、条件的に難しいこともあるのかもしれませんが付け焼き刃的な感が否めないのです。藤崎圭一郎さんも自身のブログで書かれていますが、50年100年掛けて熟成させる事。良い部分を残し、改善すべきところを改善する。コストと効率のみ追求してしまうと結局無駄に終わってしまうような気がするのです。特に東京メトロのサインは、営団のサインシステムを大幅にリファイさせていますが、乳半ベースの内照サインに路線カラーリング+ゴシック4550のシンプルな組み合わせは残して欲しかった。あのサインは世界に誇れるのにと思うのは僕だけではないはずです。。
_______________________
+ 平澤 太
+ Designcafe? / 平澤太デザイン計画機構 +
+ Hirasawa Futoshi design & planning organization
→平澤太デザイン計画機構
→Designcafe-blog
→Designcafe.jp (サイトリニューアル中)
→Designcafe annex T-galaxy.com
→Technorati-Japan
続きを読む2007年06月11日
サイン・インターフェイス・・その1 "新ゴ"


上の写真は、日比谷線人形町駅構内にある東京メトロのエリアサインですが、上下共にモリサワの"新ゴ" で表記されています。DTPを生業にされている方にはおなじみの、大手企業でも企業制定フォント(公式書類や媒体で使う)で使われているので、お目にかからない日は恐らく無いフォントの一つです。JR東日本でも日本語表記は全て"新ゴ" ですし。。最近サイン・インターフェイスのデザインに取り組む機会があって、注意して観察しているのですが、余りに"新ゴ" が多すぎて没個性的というか、もう少し他の選択肢は無いのかなと考えたりしています。

↑Photograph: Slick Vic's @ Creative Commons
なぜメトロのサインを取り上げたかというと、以前と現在で大幅にリファイされていて、フォントに関しても全く異なるチョイスをしているからです。ナンバリングされる以前の「営団」時代はゴシック4550という名の営団のサインの為に開発された書体が使われていました。1972年に開発された書体なので現在フォントとしてリリースされていないのですが、通常正方形のガイドの中にデザインしていく日本語書体の中で、このゴシック4550は45:50という縦横比・・90% 扁平にしているところが最大の特徴です。読みやすさを追求したようですが、限られた空間(大抵は低い天井面を有する地下鉄コンコース)の中に設置するサインに記載していく訳ですから、必然的に扁平にせざるを得なかったのかもしれません。ちなみにこの書体は鎌田経世氏によるデザインで、サインシステムとして黎デザイン総合計画研究所が手がけたものです。現在は二つの事務所に別れてしまったようですが、このゴシック4550は実際サインとして見易く個人的に大好きな書体の一つでした。
→まんぷく::日記 東京メトロの新フォント・・東京メトロの新旧フォントの比較が判ります
→東京メトロのサインシステム
日本語での表記する場合の最大の問題点は、その字数の多さです。ひらがな、カタカナに加え常用漢字だけでも1945文字あるわけですから、これらを全て新たにデザインするにはコストと時間的な制約がでてきます。またデザインする側から言うと、制作のプロセスにCADやドローツール(Adobe illustratorなど)が入りデザインから制作(カッティングシート切り文字加工からグラフィックシートによる出力まで)がデーター入稿となっている為、これに対応している事が必須になってきます。ヨーロッパやアメリカですとオリジナルで書体を起こす事もありますが、字数が少ないラテン語圏だからこそ可能な訳です。
サインインターフェイスとして新ゴが流通している理由は、幾つかあると思いますが最大の理由は「見慣れている」事でしょうか。雑誌や広告媒体など実績があるフォントですから、採用する側にも安心感があるのかもしれません。またフォントのウェイト(字幅)のバリエーションがあってかつモダンである事。良い意味で無難なのでしょうね。
個人的には、ヒラギノ ファミリーや小塚ゴシック ファミリー、あと使う場面は選びそうですがモトヤ シーダ ファミリーも面白そうです。サインの場合、文字が占めるウェイトが多い程、フォントがデザイン全体に与える影響が大きいですから少し個性が見える程度がちょうど良いような気がします。。
最後にサインインターフェイス関連を書かれているブログを紹介します。。
▽ああ、新宿駅サイン計画:ココカラハジマル
▽東京メトロに思う未熟なサイン計画:GEB-Site
_______________________
+ 平澤 太
+ Designcafe? / 平澤太デザイン計画機構 +
+ Hirasawa Futoshi design & planning organization
→平澤太デザイン計画機構
→Designcafe-blog
→Designcafe.jp (サイトリニューアル中)
→Designcafe annex T-galaxy.com
→Technorati-Japan
2007年04月28日
Media Skinの事

先月MNPを使って機種交換したMedia Skinの事を書きます。購入して1ヶ月弱になりますが、リリースが決まってからほぼこれにしようと決めてMNPに踏み切ったので、キャリアの違いからくる違和感はともかく、プロダクトとしては概ね気に入っています。写真の通り色はブラックをチョイスした訳ですが、これは僕の持ち物とのバランスを考え質感的にも一番ソフトだったことが決め手になりました。
僕はワンセグやお財布ケータイも必要としていませんでしたが、デザイン意図を貫く為にこれだけ外部要素を削っていると普段は気がつかない不便さに気ついてしまいます。販売前から周知の事実でしたが、フリップを開かないと何も出来ないこと。カメラを撮影するときも然りですが、フリップを開けたままカメラを撮影しなければならず、インターフェイス的にお世辞でもアクセシビリティが良いとは思えません。また、時刻の確認(スリープモードからの)や着信/メール有無の確認も然りで、フリップアクションを起こさないと何も出来ない訳です。
二つ折りが主流である現在の携帯電話のデザインの中で、ストレート型を除けば殆どの二つ折り携帯はこのアクセシビリティの解決を図らないといけない訳ですけど、それらの多くはショートカット的なボタンを設けたり、何らかしらのスイッチが付いていますよね?このMedia Skinの場合デザインの初期段階からフリップ式だったそうですが、デザイナーの強い意志でアクセシビリティを多少犠牲にするのであれば、盛りだくさんに詰め込みすぎた機能を限定させるべきだと思います。特にカメラは、横に構えるにもフリップが邪魔でこれ一台でカメラとケータイを兼用するユーザーが気の毒です。(ちなみに僕はこのカメラは殆ど使いません)あと、ボタン。これはメールをヘビーに使うユーザーには致命的でしょう。僕が過去愛用していた小型ケータイpreminiよりも遥かに押しにくい・・・
・・とネガティブな部分を並べてみましたが、今の携帯電話はこのぐらい割り切ってデザインしないダメなのでしょうね。使いにくいか、機能が限定されるか?高次元にデザインを成立させて機能と両立させるということは凄く難しいような気がします。全て表の部分に(物理的に)出て来てしまう。Media Skinを購入している人は、多分この物理的なスイッチが表に出て来ていないスマートな部分を気に入って購入していると思うのです。先に書いたネガティブな部分と天秤かけてデザインを選んでいると思いますし、auのデザインプロジェクトとしてリリースしている訳ですから、このぐらい割り切っていいと思うのです。
携帯電話はこれから多様化していくでしょうね。デザインの優れたものやインターフェイスが優れたもの(誰でも使える)はメーカーも差別化してリリースしていますが、これ以上に細分化されていくんだと思うのです。1台で多機能にするのが今までの主流(ケータイに限らずデデジカメでも言えますが)でしたが、デザインでいえばこのMedia Skinくらい強い意志で優劣を決めてデザインしないといけないのでしょうね。。
_________________________________________________
+ 平澤 太 (平澤太デザイン計画機構)
+ Hirasawa Futoshi design & planning organization
+http://www.hirasawa-design.com
+http://designcafe.jp/blog
